English HonyakuTALK 翻訳トーク アーカイブ パシフィックドリームズ ホームお問い合わせ

   
Newsletter :: Issue No. 34
        翻訳トーク
2005年 3月号          アーカイブ
English Japanese

翻訳 TALK 3月号のごあいさつ

今年のオレゴン州はいつにも増して暖冬もよいところでした。 しかも降水量は平年の半分以下。 これから夏場にかけての渇水が早くも心配されています。 雪も平地ではまったく降らず、山の方でもやはり平年の半分以下の積雪量。 当然のことながらスキー場はどこも商売あがったりの状態にあったのではないのでしょうか。 そして、私の住むセーレムの街では、今桜が満開です。 ご存知かもしれませんが、オレゴン州の冬から春先にかけてはほとんど毎日が雨というのが相場であったのですが、今年は、その雨がカリフォルニア州の方まで南下してしまい、おかげでオレゴンは晴天続きのカリフォルニアのお株を奪ったようなマイルドな気候が続いております。

さて、先月号でお知らせいたしましたように、オフィスの移転が間近に迫り、引越しは、3月31日にすることに決まりました。 現在2ヶ所にあるオフィスが統合して、1ヶ所になりますので、弊社としてはけっこう大掛かりな引越しとなります。 引越しに際して最も重要なことは、引越し後第一日目の4月1日から電話・ファックス、そしてDSLによるインターネット接続ならびにオフィス内のネットワークの接続が「確実につながる」ということに尽きるのではないかと考えています。

今回オフィスを引越して新しく移転する町は、Wilsonvilleという、ポートランドの南に位置する人口2万人にも満たない小さな町なのですが、交通の便が良く、大手企業の本社やディストリビューション・センターがいくつかあります。 例えば、CADソフトの大手企業であるMentor Graphics社やPC用プロジェクターメーカーのInFocus社の本社は、このWilsonvilleにあります。 そのほかにも、ナイキやシスコの巨大なディストリビューション・センターがあり、多くのトラックが頻繁に行き交いしております。

ノースウエスト航空の成田からの直行便で昨年6月から再び結ばれたポートランド空港からは車で約25分ほどの距離にあり、今はセーレム市にあるオフィスからですと優に1時間はかかっていたのと比べますと、空港にはかなり近づいた感じとなります。 オフィスのすぐ近くには、スターバックスやターゲット、そしてオフィスデポやCostcoなどの入った大型のショッピングセンターがあり、買い物をするにはとても便利な環境にあります。

前回の「翻訳トーク」でも書きましたように、オフィスの面積は2,135 Square Feet(約70坪)ありますので、弊社の社員数10名ではかなり持て余し気味の広さとなります。 個室を2つほど余計に仕切ってつくることにしましたので、どなたかアメリカにお越しになられる際、特に長期ご出張の場合には、弊社の個室を出張所オフィスとしてお使いになっていただけるような構想を練っております。 現在、その仕切りや間取りの内装工事が始まったところです。 工事が終了しましたら、写真に取りますので、ご関心のおありの方がいらっしゃいましたなら、ぜひお知らせください。 メールで、オフィスの写真(外と中)をお送りしたいと思います。

Ken Sakai
President
Pacific Dreams, Inc.
KenFSakai@aol.com

4月1日からPacific Dreams, Inc.の住所 ならびに電話番号・FAX番号が下記の通り、変更となります。

Pacific Dreams, Inc.
25260 SW, Parkway Avenue, Suite D
Wilsonville, OR 97070, USA
TEL:503-783-1390  FAX:503-783-1391

 


 




Ken Sakai
Pacific Dreams, Inc.
President

 


翻翻訳事始め − 第34回 「日本語と英語の構文比較:パート3」

さて、今回も、安西徹雄氏の幻の名著「英語の発想」をベースにして執筆させていただきました表題の「日本語と英語の構文比較」もパート3を迎えて、いよいよ大詰め、今回が日本語と英語との間に存在する表現や構文上の違いについて考察・検討を行う最終回となります。

パート1では、日本語の文章の中で頻繁に見られる「主語の欠落」についての検討では、文章中で使われている尊敬語や謙譲語といった敬語から誰が誰に対して語った言葉であるのかが、文章の前後関係ならびに登場する人物同士の人間関係の機微によって自然な形で推察することができる、したがって、日本語の文章ではいちいち主語を書かなくても、読者は誰が誰に対して話していることであるのかを十分理解することができるという考察を行いました。

パート2では、日本語で使われる時制について考察を深め、客観的な時間軸の流れに対応して時制が決まるというよりも、日本語では著者のきわめて主観的な時間的視点の移動によって時制が決まる傾向にあるため、過去の出来事の記述であるのに、現在形が使われる、またその逆も然りということを分析・検討いたしました。

英語と比較して、これら日本語の持つ顕著な特徴としまして、主観的ならびに心情的な表現手法が数多く存在し、それによって著者と読者とがより密接に共感性を分かち合いながら文章の中に感情移入させることのできる特異な言語であるという事実が浮かび上がってきた次第です。

実はここでひとつ訂正があります。 パート2では、英語は、「過去の出来事を語る場合には、もっぱら過去形が起用され、現在形が過去形と共に混在するというような書き方はしない」という記述を行いましたが、厳密に言うと、英語でも例外的ではあるようですが、過去形の中に現在形が混ざって使われることがあるということをその後になって知りました。 それは、19世紀のイギリスの桂冠詩人であるワーズワースやコールリッジの詩などに頻繁に見られるようなのですが、「劇的現在」(Dramatic Presence)という技法が英語の中にもあり、過去形と現在形とを混在させることによって、より劇的な臨場感を醸し出す技法として使われているということです。 しかしながら、どうもこの表現技法は、英語では詩の世界でもっぱら使われているようでありまして、やはりそれほど一般的な表現方法とはいえない模様です。

安西教授は、「英語の発想」の中で、エドワード・サイデンステッカー コロンビア大学名誉教授が英訳した、日本文学を代表する文豪の小説の英訳例を一部引用されているのですが、その中のひとつで、川端康成の「山の音」という小説の冒頭部分で、主人公が「山の音」をはじめて聞き、驚愕を覚えるシーンがあります。 そのシーンの英訳を読んだ私の妻は、これはまるっきり詩の中の世界で、とても小説であるとは思えないというのです。(注:私の妻は、アメリカ人で大学では英文学を専攻)

紙面の都合から「山の音」のオリジナルとその英訳とを皆様にご紹介できないのが大変残念なのでありますが、確かにオリジナルの日本語もかなり詩的な表現に満ちているとは感じられるのですが、このような書き方は、文豪の書いた小説世界では取り立てて言うほど珍しいことでもないと思われますから、逆に英文学の基本線からいくと確かに一種独特な世界に映るのかもしれません。

この「山の音」は、時制においても現在形と過去形とが混在を極め、ひとつの文章が終了するごとに時制が交代しているのです。 それは、作者である川端康成が信吾という主人公に成り代わって、山の音を聞くまでのあたりの描写を書いているかと思うと、突然「信吾は」という三人称の構文が現れ、作者は主人公から遊離して、あたかもテレビドラマのナレーター役のような書き方となっています。 時制は、過去形で書かれ、客観的な感じがするのに対して、信吾の視点に戻って書かれた箇所はすべて現在形となっており、あたかも主人公の心のつぶやきをその場で代弁しているかのような印象を受けます。

しかも時制の変化や混在だけではなく、それぞれの文章は、はたして信吾が心の中で放った言葉であるのか、あるいは、作者である川端康成が第三者としてナレーターのような描写をしたものなのか、つまりはそのどちらもが時制同様に混在しているようなのです。 ここでは、時制だけではない、日本語の話法の微妙なあやが繰り広げられています。 英語の話法には、直接話法と間接話法があるのに対して、日本語のほとんどは直接話法で語られますが、この「山の音」の中では、そのどちらでもない、中間に位置するような話法(安西教授は、中間話法と呼んでいる)が存在し、客観性と主観性の間を行きつ戻りつし、また時制もそれに合わせて過去と現在とが交じり合うという展開をさせています。

時制が混在することによって、日本語は作者と読者の垣根を払って、深い共感性をもたらすということを前回書きましたが、もうひとつ「話法」においても、誰が語っているのかという視点を自由に移す技法が存在し、それも時間軸の移動と合わせて、主人公の深い心のひだに対して読者にあたかもその場に居合わせたかのような一体感のある擬似体験を感じさせることが出来ます。 やはりそのような話法の移動というのは、英語の中では基本的にはないようですので(それでも英語の詩作の世界では例外的に存在するみたいですが)、やはり日本語というのは、英語の世界から見ると、詩作のような、凝縮した表現や技法をちりばめた言語世界であるということが以上の検討で、例証できたのではないかと思います。 日本語は、詩の世界のように短い言葉の中に深い意味や観念を凝縮して入れ込むことのできる特異な言語であるということをあらためて認識させられた思いがいたしました。

 

 
   


出生率についての雑感

今年初めの日経新聞では、盛んに日本の出生率低下とそれによる日本の人口減少問題、さらに急激な老齢化社会の到来といった悲観的な日本の将来像の特集が毎日のように組まれていました。 日本の昨年の特殊出生率が1.2であったという統計結果から、日本の人口減少を予測し、将来の労働力不足、国際的な競争力の低下、年金問題、国内の消費減少など、確かに今まで経験したことのない難問が山積し、今後怒涛のようにそれらがあふれ出てくるように日本のマスコミは敢えて挑戦的にあおっているようにさえ感じられます。

ヨーロッパでもイタリアやスペインなどが出生率の低下に悩まされているようですが、以前は低出生率の典型であったような北欧諸国は、逆に出生率が戻ってきているようでもあります。 また、フランスは、以前から比較的高い出生率を維持し続けています。 アメリカもメキシコや中南米からの若い世代の移民増加が主要因ということで、先進国中最も高い出生率(2.0)をはじき出しています。 確かに統計上は、そのような数字が出てはいますが、実際に私の周りをみまわしてみますと、それなりに高い出生率をアメリカが維持しているもっと別の理由も垣間見えてきます。

例えば、娘の通っていた公立高校のオーケストラ指導担当の先生が、娘が高校の最終学年であったときに初めての出産を迎えられました。 そのとき、出産後の数ヶ月間、オーケストラに入っている生徒の親が当番を決めて、1週間に一度、その先生のご自宅まで、順番に夕食を宅配することを続けました。 このような話は、公立校だけでなく、教会や他のクラブサークルなどあちこちで聞きました。 アメリカの組織やローカル・コミュニティでは、出産後の大変な時期に母親である女性をサポートするという伝統が今も生き続いているように思います。

法的には、妊娠や出産に伴う休暇付与について、アメリカ連邦政府は、1993年に家族休暇及び医療休暇 (FMLA:Family and Medical Leave Act) という法律を施行し、従業員が12ヶ月のうちで12週間を上限とする無給休暇の取得を半径75マイル以内に従業員数50名以上を擁する企業に義務付けています。 この法律の施行によって、休暇取得中および取得後の健康保険の継続、さらに職場復帰後の同一あるいは同等のポジションの確保させる義務を企業側に規定させています。 このような法律によって、働きながらも出産する女性がアメリカではきわめて一般的です。

先月、義理の兄でありますプロの広告写真家であるポールの娘のエミリーから我家宛てに婚約のアナウンスメントならびにこの秋に行われる結婚式の招待状が届きました。 エミリーは、まだ大学のシニア(4年生)で、今年の5月に大学を卒業する予定です。 大学2年生頃からおつきあいをしていた同じ大学のボーイフレンドとめでたくゴールインすることが決まったとのことでした。

アメリカ人の結婚適齢期は、多少はそれでも伸びているようでもありますが、晩婚化しているというほどのことではないようです。 エミリーのように、大学在籍中に将来の彼氏を見つけ、卒業後速やかに結婚というパターンは、今でも多いものと思います。 逆に学生時代にガールフレンドやボーイフレンドがいなかった人は、社会に出ても仕事の忙しさから、なかなか結婚に見合うまでに至る相手探しは、けっこう楽ではないようで、しばらくは独身時代が続く人たちもそれなりに大勢います。

 

 

書評「スモールワールド・ネットワーク:世界を知るための新科学的思考法」"Six Degrees:The Science of a Connected Age"
ダンカン ワッツ 著 辻 竜平 & 友知 政樹 翻訳
阪急コミュニケーションズ ・2004年10月28日刊・389ページ


この世界の中で、見知らぬ誰かをアットランダムに選び出し、あなたがその人に手紙を書いて、友人のネットワークを経由してこの手紙を送らなければならないものと想定してみたとしましょう。 つまり、あなたは友人の一人に手紙を出し、その友人は、彼または彼女の友人にその手紙を転送し、それを受け取った人はまたその人の友人に転送しといったステップを何度も繰り返すわけです。 さて、いったいこの手紙は、いくつのステップを経て、目指す相手に届けられるかご想像がつきますでしょうか。

驚くべきことに、その目指す相手がどの国にいる誰であろうとも、手紙はたった6回のステップでたどり着くというのです。 実は、これ、インターネットが商用化されるはるか前の1960年代にアメリカのスタンレー・ミリグラムという社会心理学者がある実験を通して作り上げた「仮説」であり、コミュニケーション・ネットワークの専門家筋では昔からよく知られた存在でありました。 つまり、この世の中は、人々が考えている以上に狭い「スモール・ワールド」であるということを示唆した仮説でした。

ここで、本書の著者で、新進気鋭のコロンビア大学社会学部のダンカン・ワッツ教授は、コンピュータネットワークを駆使させて、探し出す相手の手がかりの有無とは関係なく、本当にたった6回のステップだけで目指す相手にたどり着けるのかどうかのこの仮説の立証に取り組み、見事にこの仮説が正しいことを検証してみせたのが本書の主要な枠組みとなっております。 そして、この「スモール・ワールド現象」と命名された思いがけない体験や疑似体験を単なる偶然の出来事として片付けるのではなく、きわめて科学的なアプローチによって真相追及した展開となっているのが、読者に知的興奮すらおぼえさせる内容にまで昇華しています。

通常、あなたの友人たちは、互いに友人同士である可能性が高いので、そこにはひとつの共同体的な「塊」が出来ているとしています。 この塊それぞれが完全に分離されている状態にあれば、手紙が決して届くようなことはないのですが、実際には、異なる塊にまたがる友人関係のリンクがわずかにでもあるので、二人がどれだけ離れていようとも、両者を結びつけるためには、わずか数ステップで済むというのです。 そして私たちの現実は、たいていそうなっていると本書では検証しています。

本書の後半部分では、ネットワークの科学を利用した様々な検証例を豊富にあげ、現実の社会で起こっている現象をよりよく理解するために、このネットワークの科学をどのようにして応用し、有効利用すべきかを説いています。 それは、とりもなおさず、言い尽くされた感があるかもしれませんが、ネットワーク志向のマーケティングは、まだまだ緒についたばかりのところだと本書を読むことによって考えさせられます。

ネットワークの本質に迫る著者の追及を本書で読めば、現実の人間関係はもちろんのこと、狂牛病やSARSなどの伝染病、コンピュータウイルスの世界中への伝播、株価の暴落、バブル経済の崩壊、さらにファッションの流行からハリー・ポッター・シリーズのベストセラー化まで、実に様々な出来事の背後に潜む情報の力学を貫く「スモール・ワールド現象」そしてそれらが爆発的に流布する「カスケード現象」が徐々に明らかにされていきます。 本当に知的刺激に満ち満ちた格好の良書であるかと申せます。

*Pacific Dreams, Inc. では、「スモールワールド・ネットワーク」(阪急コミュニケーションズ:$45.00 Each, Plus Shipping & Handling $6.00)を在庫しておりますので、ご希望の方は、お電話 (503-588-7368) または、E-mailで bookstore@pacificdreams.org まで、ご連絡ください。

 

   

もし、このメールマガジンを他の方にもご紹介されたい場合には、Signupまでアクセスの上、必要事項をご入力ください。



Pacific Dreams, Inc.
21 Oaks Professional Building, Ste 230
525 Glen Creek Rd., NW
Salem, OR 97304 USA

TEL: 503-588-7368
FAX: 503-588-7549

   



このメールマガジンの配信を解約されたい方は、恐れ入りますが、unsubscribe までアクセスされ、必要事項をご入力して下さい。.
If you would like to receive the English version of HonyakuTALK, click here.

© Copyright 2005 Pacific Dreams, Inc., All Rights Reserved
来月号の翻訳トークもどうぞお楽しみに!