翻訳事始め − 第 39 回「翻訳しただけではうまくいかない!」
今月号のテーマは、ちょっと変わっています。世の中には、そのまま翻訳をやってみてもうまくいかない類の翻訳が実はけっこうあるものなのです。それらを力づくでねじ伏せて何とかかんとか翻訳してみたところで、結果はむしろ悲惨。クライアントからのクレームの対象になりかねませんし、クライアントご自身、翻訳したことによって、評判を落とすか、いらぬ風評を投げかけることにさえなりかねません。
この「翻訳しただけではうまくいかない」代表例が、企業の年次報告書( Annual Report )やウェブサイトの翻訳です。年次報告書や会社案内の中には、決まって、「社長のご挨拶」の欄があるものでありまして、この「社長のご挨拶」の翻訳が翻訳会社にとりましてもまさに鬼門であります。
恐らく、「社長のご挨拶」というのは、主に日本の顧客や株主の方々を対象として発せられたものであり、内容は、日本人の感覚での「平素より大変お世話になりまして」から始まり、「今後ともご指導、ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます」で終わる日本の伝統的なビジネス形式を踏んだ内容がほとんどとなります。しかしながら、このような日本独特の挨拶形式をそのまま翻訳してみても、英語ではまずは用をなさないことは、火を見るよりも明らかです。
まさかこれを直訳する翻訳者はいないとは思うのですが、仮に意訳を試みてみたところで、欧米の企業が発行する Annual Report と比べた場合、どれだけ見劣りのする内容の社長メッセージとなるものなのか、想像に難くないものと思われます。ここで、問題なのが社長からのお言葉であるがために、誰も社内で訂正や修正を容易には加えられないということです。翻訳する場合も社長の意図する内容を少しでも違った表現などにしようものなら、たちまちクレームの嵐が吹き荒れることになります。
企業がグローバル化して、海外に工場やオフィスを設け、製品が世界中の市場で販売され、サプライヤーも世界の国々にちらばり、株主も海外の投資家が侮れない割合で一定の株式を保有しているということになっても、英語に翻訳された会社案内や Annual Report は、おおむね意味不明の社長挨拶から始まるレベルのものしか作成できないということでは、立派なグローバル企業の実態と比べてみてもあまりにもコーポレートカルチャーとしてはもの淋しいのではないかと意を呈する次第であります。
社内文書は別として、 Public Relation あるいは、 Investors Relation として作成する文書やレポートは、当然その対象となる Targeted Audience が存在するわけです。その Audience の人たちの多くがアメリカに住んでいるのであれば、やはりアメリカに的を絞った文書形式やレポート形式にすべきではないかと思うのです。つまり、冒頭にありますように、単に英語に翻訳しただけではうまくいくはずもないのです。
しかしながら、このような高いレベルまでの要求を翻訳者に依存するのは、恐らく現実的ではないでしょう。欧米企業の Annual Report や会社案内にある英語レベルを日英翻訳者に期待しても、期待する相手がそもそも場違いである感じがいたします。翻訳者以外の方々の協力をそこでは仰ぐ必要があろうかと思います。
アメリカの大手企業であっても、 Annual Report の作成は、外部にある IR ( Investors Relation )専門会社にスクリプトから内容構成、レイアウトやグラフィックに至るまでを一括して発注し、アウトソーシングをするのが普通のようです。日本国内でもそのような IR に特化したサービスを提供する会社が出てきているようですが、欧米企業に伍したレベルでの英語による Annual Report を作成できるようなアウトソース先はほとんど皆無の状況にあるのではないかと思います。
アメリカにあっても事情は、似たり寄ったりです。アメリカの大手グローバル企業や多国籍企業は、ウェブサイトのグローバリゼーション、つまり、多言語によるウェブの翻訳作業を翻訳会社に発注をします。大方のヨーロッパ系言語では、単なる直訳的な翻訳でもそこそこ問題なく受け入れられているようなのですが、こと、アジア系言語、その中でも日本語サイトの翻訳は、どうも頻繁にクレーム対象となっているようなのです。
やはり、ここでもウェブサイトの翻訳は、単に翻訳しただけではうまくいくわけがないのです。いったん日本語に翻訳されたサイトは、日本国内にあるアメリカ企業の日本法人や支社などで行われる“In-Country”レビューの際に、必ずといってよいほど、問題になります。適切な業界用語が使われていないという程度のことでしたら、クレームはまだ軽くてすむのですが、日本が持つ文化的背景に即して、適切ではない表現や事例などがそこかしこにありますと、修正は大変な時間と労力を要することになり、それこそクライアント企業にとっても翻訳会社にとっても、まさに悪夢の到来と化します。
このような文化的背景までも事前に十分考慮がなされた上で、翻訳が進められるというような手順を取っているクライアントや翻訳会社の例をアメリカにいても私はいまだに見聞したことがありません。今回は、日米それぞれの問題点をとりあえず浮き彫りにしてみたわけですが、現在のところ、決め手となるような対策や改善策は具体的には見えてきていません。しかしながら、遅かれ早かれ、これらの問題は、いずれ大きくクローズアップされ、解決に着手していかざるを得ない様相を呈するのは間違いのないことです。
具体的な解決策までを今回ご提示できないのが、私も非常に歯がゆい思いなのでありますが、このコラムの中でも引き続き検証してまいりたいと思いますので、皆様方からのご意見なども大いに参考にさせていただけましたら大変ありがたい限りです。弊社としても今後、このような重要な問題に真摯になって取り組んでまいりまして、日米の掛け橋としての役割と期待とをますます果たしていくことができますよう、全社員のベクトルをひとつにして精進してまいる所存でございます。
Ken Sakai
President
E-mail: KenFSakai@pacificdreams.org
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