ここのところ、ほぼ週1回のペースでブログへの書き込みをせっせと続けております。(私のブログのアドレスは、http://blogs.yahoo.co.jp/kenfsakai/です。)昨年9月のブログ開設以来、私のブログへのご訪問者数がようやく2,000名様を超えたところです。アメリカからお届けする鮮度と感度にすぐれた情報を目いっぱい詰まったブログとなることを目指しています。面白いと思われたブログの記事には、ぜひともコメントをお送りくださいましたら、このようなブログを書いている身にとりましては、本当に励みになります。
さて今月号の「翻訳トーク」の中でも、最後に2つほど、最近のブログの書き込みをご紹介させていただきます。思いついたときでけっこうですので、ときどき私のブログのチェックもしてみていただけますよう、何とぞよろしくお願いします。
翻訳者と翻訳会社のパーティ
4月19日(木)
先週の木曜日(4月12日)に地元ポートランドのダウンタウン近くにあります、かなりというか、超今風のレストランで、“Fusion”というグループの名前で、個人の翻訳者と翻訳会社で働く人たちのパーティが開かれましたので、参加してまいりました。
この種のパーティは、ポートランドでは3回目で、私は、昨年11月に開かれたパーティに参加したのに続いて今回2回目の参加です。半年に1回ぐらいの割合で開かれているようで、2回目よりも3回目の今回の方が大勢の人が来ていました。
アメリカで翻訳関係者のこのようなパーティや集まりなどがありますと、日本のように日または英日翻訳者だけの参加者ということはありえない話になりまして、ほとんど、世界中からアメリカに来ている(移民としてきている)人たちとお会いして、それぞれの言語についての翻訳の話を英語で取り交わすというスタイルになります。
さすがは、言い古されてはいますが、“人種の坩堝”であるアメリカらしい風景がこの翻訳者の集まりの中では展開されます。ヨーロッパ(フランス、ドイツ、ベルギー、ポルトガル、ポーランド、チェコ)、ロシア、メキシコ、エクアドル、ブラジル、中国、台湾、韓国、そして私と弊社スタッフの純子さんを入れた日本人とザーと手短な会話と自己紹介を交わした中で、様々な国々の人たちが入り混じっての賑やかなパーティでした。
もちろん、アメリカ人もそれなりにいましたが、参加しているのは、翻訳会社やローカリゼーション会社で働いているプロジェクト・マネージャーと称する人たちです。私の会社も彼らから仕事をもらうこともあって、まあお客さんでもあるのですが、けっこう年齢が若い連中(だいたい30代前半ぐらい?)であるのと、かなりカジュアルないでたちで来ているのに少々驚きを覚えました。
ビジネス・カジュアルなどという言い方がこちらではあるのですが、彼らは、まるでアメリカの大学生のような装いで、年齢が30代であるから、学生という感じには見うけられませんでしたが(そんなこと言っても、30代で働きながら大学に通っている人もアメリカではちっとも珍しくも何でもないのですが)、まあ、服装にもう少しビジネスのビの字ぐらいが出ててもいいんじゃないという気がいたしました。
今回のパーティでは、すべての言語の方々とお話しができたことが高い満足感につながりました。以前このようなパーティや集まりに出ますと、やはり日本人やアジアの人同士だけでかたまってしまったり、数で勝るスペイン語圏の人たちのパワーに圧倒されたりという具合で、他言語、他文化の壁がそれなりにあって交流を狭めていることを意識せざるを得ませんでした。
今回は、レストランの暗くてアナーキーで無国籍的な雰囲気もそれなりによかったですし、同じ文化圏同士で参加者がかたまっていなかったので、対等にそしてお互いがフレンドリーに話すことができて、本当に楽しいひとときでありました。個人で来ていたフリーランスの翻訳者は、サイドビジネスで翻訳や通訳をなさっている人が多いようにお見受けしました。けっこうアーティスト風な方々もいて、普通のビジネス・ネットワーキングパーティとはちょっと趣が異なる、異質の世界を久し振りに浸かることのできたひとときでした。
オハイオ州の幽霊屋敷
4月23日(月)
多分今から10年近く前に遡るかと思うのですが、当時、日本製半導体製造装置販売のために、オハイオ州のシンシナティから北へ1時間ほどいったところにある、とある小さな田舎町の小さな半導体メーカーに何度かポートランドから通っていたことがあります。
そのメーカーは、オハイオ州のウィルミングトンという町にあり、周りはトウモロコシ畑が延々と続く農村地帯そのものの真ん中にありました。半導体工場があるといわれても、近くに巨大なサイロ形をした穀物貯蔵庫(カントリーエレベーター)があって、まるでチーズやバターを製造する乳製品工場のようなつくりをいていたので、これが半導体工場(?)と最初はこの目を疑うほどでありました。
このオハイオ州ウィルミングトンの町にはホテルもなく、シンシナティから1時間ほどかけて車を走らせてたどり着くしか手がないように思えました。しかし、以前三菱シリコンアメリカの半導体工場で一緒に働いていた、アメリカ人エンジニアが、このウィルミングトンにある半導体メーカーに転職したので、彼からこの町には、ホテルはないが、1軒だけB&B (Bed & Breakfast) があるから、そこに泊まったらよいということで、予約を取りました。
道に迷いながらも町に一軒しかないファーストフード店(ケンタッキーフライドチキン)で夕食を済ませた後、もうあたりもほぼ真っ暗になりかけた頃にようやくこのB&Bまで日本からお越しになっていた装置メーカーの海外営業部長さんとともに、たどり着くことができました。アメリカにある大方のB&Bは、古いお屋敷風の家が多いのですが、このウィルミングトンにあるB&Bもご他聞にもれず、100年以上昔に建てられた、荘厳な雰囲気のするビクトリア風のお屋敷でした。今でもその家の中に入ったときのひんやりとした何ともいえない冷たい空気の感触が忘れられないほどです。
家の持ち主は、40歳後半ぐらいの上品な感じのスレンダーな女性でした。彼女が出迎えてくれて、ひととおり古いお屋敷の中を案内してくれて、また明日の朝7時ごろに来て、朝食の支度をしますからということで彼女はその後、すぐに自分の家に戻られました。広い家には、私と日本の営業部長の2人だけが残されました。ポートランドから朝早くに出てきた長旅の疲れで、すぐに眠たくなったので、夜の9時過ぎには、もうベッドにもぐりこんでいたのではないかと思います。
私の部屋は2階で、ちょうどキッチンの上に部屋がありました。ベッドに入った途端、すぐに白川夜船で、熟睡状態です。が、何時かはわかりませんが、キッチンの横にあるドアが開いて、バタンとしまる大きなドアの音に目が覚めました。すると、誰かが冷蔵庫のドアを開け、食器棚から食器を取り出す音や引き出しを開ける音、包丁で野菜を刻む音などが続けて私の耳に飛び込んできました。しかもそれらの音は、とても楽しそうで、料理をする喜びに溢れるような軽快な物音のように聞こえてきました。
私はいったい何が始まるのだろうかと思い、体を起そうとするのですが、まるで自分の体は金縛り状態にあったようで、身動きのひとつも取れないのです。これでさすがに恐怖感を覚えましたが、もう次の瞬間には意識がなく、目を覚ますと朝を迎えておりました。朝8時に食事を取りに下のキッチンに降りていきますと、昨日会ったオーナーの女性の方が朝食の用意をすっかりしてくれており、私たちを笑顔でまた迎えてくれました。
昨夜のことを彼女に話してみようかと思ったのですが、営業部長の人が別の話を持ち出したので、話しそびれてしまいました。後で、昨夜の体験を営業部長さんに話すと、そんな音はまったくしなかったと言うではないですか。彼の部屋は1階でしかもキッチンのすぐ隣にあったので、私の部屋で聞こえて、彼の部屋で聞こえないはずはないのですが!
朝9時に半導体メーカーに出向き、昔一緒に仕事をしていた懇意のエンジニアに昨夜のことをこっそり話してみましたところ、話はなかったけれど、実はあそこのB&Bには幽霊が出るということを真顔で私に言うではありませんか。やはりあれは幽霊だったのか!それにしても真夜中にキッチンに現れて、楽しそうに料理を作る幽霊であれば、誰も恐れおののいたりしないのではと思いました。でも何らかの理由で成仏していないわけですから、日本だったらお払いなどをしてもらうのでしょうけど、アメリカではそんなことは多分しないのでしょうね。そう考えますと、アメリカの古いお屋敷には幽霊がいっぱい住んでいるのではないのでしょうか。アメリカでB&Bに泊まることは、ひょっとして幽霊体験できる格好の機会になるのかもしれないですね。
Ken Sakai
President
kenfsakai@pacificdreams.org |