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会社の成り立ち

半導体から翻訳、そしてHR

私の40年を超える長い職業生活の中で、転職や起業とも連動して3つの異なる分野での仕事に従事してきたと自負しています。その3つの分野というのは、半導体、翻訳、そしてHRだと申し上げられます。それぞれは確かに異なる分野でありますので、一貫した脈絡が感じられないかもしれませんが、今振り返ると、それなりに確固たる理由があっての仕事の変遷であったかと考えています。

最初の就職した約10年間は日本を代表する某財閥系企業での半導体製造分野での従事でした。アメリカに来たのもその企業での駐在および転籍という経緯でありました。半導体といいましても、やっていたのは半導体デバイス向けのシリコン基板、円形で鏡のようなシリコンウェハーの製造業でした。この分野は、私が就職した当時1980年代からすでに日本のお家業で、現在も日本メーカーが世界市場での半分以上を席巻しているという先頭ランナー的な存在を続けています。私は、そのシリコンウェハーメーカーでの製造現場のエンジニアをしていたのですが、当時はアメリカ西海岸にあった老舗のウェハーメーカーを日本の本社がバブル期の金余り時代に買収をして、初めてアメリカに赴任した先がアメリカ北西部にあるオレゴン州でした。

製造エンジニアとして、ほぼ毎日製造ラインのあるクリーンルームに入り込み、ラインで働くローカルのアメリカ人従業員やスーパーバイザーなどとすぐに親しくなりました。そうこうするうちに、現場にはさまざまな労務問題や従業員とマネジメント間での衝突などがあることを知るのにそれほど時間はかかりませんでした。当時アメリカの人事部は旧来のPersonnel Department という呼び名からHR(Human Resources)Department に代わったばかりのところで、アメリカ人でも ”What is HR Department?” と怪訝そうに尋ねられたりされたものでした。

さらにそうこうするうちに日本人ではトップであった当時の筆頭副社長から会社のHRについて報告を毎月上げるようにと言われました。自分はエンジニアであって、人事担当ではないと突っぱねようとしたところ、「酒井君は日本人なんだから、何でもやってもらわないと困る、少なくともアメリカ人の2倍は働いでもらわないと」と言い返され、では「給料は2倍にしてください」とネゴしたら、「それだけはダメだ」と言われたものでした。

そこで仕方がないので、当時名前が代わったばかりのHR Departmentのアメリカ人のスタッフの方々と仲良くなって、懇切丁寧なご指導をいただけることになりました。まさにそのことが今の弊社でのHRコンサルティングの源流になっていると申し上げられます。当時のHR Departmentの方々とは今でもフェィスブックなどを通じてつながっていて、地元にいてもなかなかお会いすることはもうないですが、気持ちだけは今でもしっかりつながっていると感じています。

一方の製造関係では日本からのアメリカへの技術移転の業務が右肩上がりで増え続けた時があり、要は技術文書や品質保証(QA)管理のマニュアルなどの英訳業務、そして日本からの技術者のための通訳などを頻繁に依頼されるようになりました。当時はもちろん自動翻訳ソフトもないですし、いまほど英語ができて技術にも明るい日本人もいませんでしたので、私はかなり重宝がられて毎日相当こき使われました。それらの業務や経験を通じて、技術関係の翻訳や通訳には根強い需要が今後ともあるのではないかと察し、大規模な新工場建設プロジェクトの落成にこぎ着けたタイミングで、思い切って会社を退職し、現在のPacific Dreams, Inc. を1996年4月から100%身を託した次第でした。

ちょうど製造業関係の日系企業のアメリカ進出も1990年代後半から増え続け、半導体やITに関する技術翻訳や通訳のニーズも伸び続け、一時は従業員数が全部で10数名に増え、オフィスも2つ構えるようになりました。それが一挙に暗転したのが2008年後半に起こった例のリーマンショックでした。リーマンショックで弊社の翻訳案件もまさに砂漠の炎天下で水が蒸発するかのように瞬く間に消えてなくなっていきました。同時に従業員をレイオフしたり、会社自体を閉めてアメリカから撤退する日系企業も出てきて、翻訳に代わってそのような会社から深刻なHRの相談を受け始めたのもリーマンショックを境にしてのことでした。

2000年代に入ってからは翻訳と同時進行で弊社では少しずつHR関係の業務、例えばハンドブックやジョブディスクリプションの作成などを徐々に手掛けるようになっていました。それらの業務はまた翻訳とも親和性があり、作成したハンドブックなどを翻訳するという仕事も生まれていました。ですが、会社の業務大転換が急激に動かざるを得なかったのは、まさにリーマンショックがあったからにほかなりませんでした。以来、弊社の業務はHRコンサルティングが主軸となり、全米各地にある日系企業様に(人材紹介や派遣以外での)総合的なHRコンサルティングサービス会社へとシフトして現在に至るわけです。

半導体から翻訳、そしてHRコンサルティングへ弊社が変遷していった経緯がこれで皆様にお分かりになっていただけましたら嬉しいです。いくつかのシフトはしてまいりましたが、私はいつでも今やっている仕事が自分の天職だと考えています。今の仕事ほどやりがいのある仕事はほかにないと自分に言い聞かせています。まだまだ当分リタイヤメントや年金受給というような文字は私の辞書の中には入ってきそうにありません。ただし、日々の健康管理だけは怠れないというのはこの歳になっての偽らざる実感です。

Pacific Dreams, Inc.
代表取締役社長 & CEO
酒井 謙吉

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