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アメリカから発信! HRMトーク 人事管理ブログ by Ken Sakai

2023年8月05日

HRMトーク2023年8月号「年次評価はこれからも存続するか」

今からもう10年以上前のこと、イラストレーターやフォトショップなどのグラフィック系作成ソフト開発販売会社であったアドビが、ちょうど世界中でリーマンショックの余波がまだ冷めやまぬ頃合にHR部門の責任者で統括ディレクターがソフトウェア業界でのコンファレンスでいとも唐突に今後アドビでは年次評価制度は廃止するつもりだと公言したのでした。それは、ソフト業界関係者のみならず、アドビ社内の管理職にとってもまさに寝耳に水のアナウンスメントでもあり、虚を突かれたようなインパクトがさざ波のように広がりました。

このアドビのディレクターからの公言を潮目としてデル、マイクロソフト、IBMなどの巨大テック企業、そしてデロイトやPwCなどの大手会計事務所、さらには伝統的な人事評価制度を長年維持してきた巨艦のGEまでもが次々と自社の評価制度廃止の動きに乗り出すという、にわかには信じ難いような怒涛の流れがアメリカで巻き起こりました。では、評価制度を廃止した企業は従来の評価制度にとって代わる何かまったく新しい独自の制度を作り出し、自社にそれを導入したのでしょうか。

基本的に新しく導入した制度は、アドビではチェックイン、GEではタッチポイントなどと呼ばれていて、要は個人目標と各自の進捗度合いとを関連付けさせて、迅速かつ簡易なフィードバックを形式にはあまりこだわらず上司は部下に対して頻繁(たとえば週単位で)に与えるという方式に衣替えしたというのです。その頻度の高いフィードバック方式によって、長年続けられてきた伝統的な年次評価制度は一気にお蔵入りとなった次第です。ではいったいどうしてこのような潮流へのシフトが起こったのでしょうか。

そのヒントは、やはり言いだしっぺであるアドビが抱えていた事情によるところが大きいと考えられます。ソフトウェア製品のほとんどはもともとはパッケージソフトと呼ばれていて、アメリカの大手オフィスサプライチェーンの店頭などに平積みされて売られているものでした。アドビのソフトも例外ではなく、パッケージとして店頭販売されていました。ところが、2010年代に入って急速なインターネットの高速化および大容量化の進展などから、アドビはすべての自社ソフト製品をパッケージ販売からダウンロードによるオンライン販売に切り替えるという大胆でドラスティックな方針変更を行いました。それによって今までのパッケージ時代の製品開発やセールス&マーケティングなどにも180度の方向転換があったことは想像に難くないものと思われます。

そのようなドラマティックな変更があったにもかかわらず、社内評価制度だけは何の変更もなされないとすると、パッケージ製品の開発に全精力を傾けてきた従業員は一夜明けてすべてがオンラインによるダウンロード方式に移行した場面で、過去の業績や貢献などはほとんど顧みられなくなったというのです。それによって、会社からの不当に低い評価を受けた従業員の多くは失望し、一部は会社を退職した人たちも少なくありませんでした。上司は上司で、急きょオンラインに変わった暁での部下への適切な業績の評価軸など持ってはおらず、長時間かけて奮戦した挙句に下した低すぎる評価によって部下がモチベーションを失ったり、職場を去っていくという悲しい現実に見舞われたものでした。

確かにソフト業界のようにテクノロジーの移り変わりの素早いテック業界においては、このような混乱は避けようがなかったところがあったかと思います。ですが、すべての業種や業界でこれほどまでのダイナミックで激しい変化が起こっているのかというと、現実的にはマスコミが書き立てるほどには起こっていないというのが私の見立てになります。つまり変化の激しい業界では伝統的な年次評価制度は確かに機能しなくなったとしても、変化があっても非常に緩慢な変化が起こっている多くの業界ではいまだに年次評価制度は継続されています。しかもコロナ収束後は、いったん評価制度を廃止した企業(たとえば、ニューヨークライフやメドトロニクスなど)が再び評価制度を再導入して復帰させているというケースさえも散見されています。

振り子は常に揺れ続けていますし、もとの場所に戻ってくるものでもあります。評価制度廃止が一時的なトレンドあるいは流行り廃りで終わるものなのか、その決着はもちろんまだ何もついているわけではないのですが、伝統的な評価制度が今後とも功を奏する業界もあれば、新しい制度に代わっていかざるを得ない業界も当然出てくるだろうと予想できます。一言で評価制度の有無について断言できる立場の人は誰もいないでしょう。同じ大手テック業界の一角を占めるフェィスブックでは頑なに年次評価制度を死守する立場を貫いている、そんな企業もまだまだあります。

流行や廃れにかかわらず、星の数ほど存続する企業それぞれの判断で、評価制度を継続するかどうかを熟慮し、独自の制度を時間をかけて作り上げていくことこそが肝心要(かなめ)なのではないかと思い至ります。そこには置かれている業界、企業の理念、テクノロジーの進展、歴史的背景、従業員のモチベーションやエンゲージメントなどがファクターとしていくつも複雑に絡み合っています。一度作った評価制度に慢心せず、常に改善を施していく姿勢も持たなければならないでしょう。まさに企業のHRとして産物そのものが自社の評価制度の結晶なのではないかと察します。


記事執筆:酒井 謙吉
This article written by Ken Sakai
President & CEO
Pacific Dreams, Inc.

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