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アメリカから発信! HRMトーク 人事管理ブログ by Ken Sakai

2023年9月19日

HRMトーク2023年9月号「アメリカのHRの歴史と変遷」

今年2023年は企業で働く人事担当者の関係者団体としては世界最大の組織であります、SHRM(Society of Human Resource Management; 人事管理者協会)の設立75年の節目の年を迎えております。75年前、つまり1948年にこの団体は、オハイオ州クリーブランドのホテルでその産声を上げました。ですが、その当時の名称はASPA(American Society of Personnel Administration)というものでした。そう、当時の人事部に該当する名称は、Personnel Administration あるいは Personnel Department と呼ばれていて、その部門で働く管理職は、Personnel Manager が使われていました。HR(Human Resources)という言葉はまだこの世に生まれてもいなかったのです。

この年(1948年)に生まれたASPAは当初92名からの会員で発足し、そのうち女性会員はたったの6名、年会費は$25であったそうです。75年前の会費$25は結構高額ではなかったかと察します。(2023年の会費はその10倍にも達していませんので。)最初の年次カンファレンスは翌年1949年にクリーブランドで開かれ、67名が参加しました。1950年からは会員誌である”Personnel News”の発行が開始され、現在は”HR Magazine”の名前で引き継がれ、四半期ごとに発行され続けています。現在の会員数は公表約32万人超ということで、きわめて巨大な団体にまで発展し続けています。

さて当初ASAPであった団体の名称が現在のSHRMに変更となったのは、1989年になってからのことでした。1948年にASPAが生まれた頃は、HRという言葉もまだ存在していなかったと申し上げましたが、ではHRという言葉はいつごろから出てきたのでしょうか。どうもこのHRを最初に使った人物は、マネジメントを発明した男であり、知の巨人といわれる、経営学者のピーター・ドラッカーで、彼の著書”The Practice of Management(1954)”(邦題:「現代の経営」ダイヤモンド社)の中で初めて引用された造語であったことが確認されています。ドラッカーは生前から常に時代の最先端を行く碩学(せきがく)であり、彼の著書は数十年前に発行されたものであっても現代社会を正確に予言しているような新鮮きわまりない概念を作り出し、将来世界中で起こりうる経済情勢と社会現象を見事に言い当ててくれています。

私自身、その昔を思い返してみますと、当時働いていた日本の大手財閥系企業がバブル華やし頃の流れで、ほぼ債務超過に陥っているアメリカの老舗半導体メーカーを買収し、第一弾の駐在員として親会社から送られてきたその一員にこの私も含めれていたものです。それは1987年後半のことで、アメリカに送られてきて最初に出会ったのがその会社のPersonnel Departmentの人たちでした。ああ、アメリカの人事部は英語でPersonnel Departmentというのかとそのとき初めて認識した次第でした。ところが1990年代に入ってから会社のPersonnel Departmentは組織改革を断行し、名称もHuman Resources、略してHR Departmentに変わりました。まだ当時1990年代初めにおいてはHRという言い方も略語もアメリカ人一般にはほとんど知られておらず、HRと言ってみたところで、”Which means by HR?”といぶかしげに聞き返されるのがせいぜいのところした。

ことほど左様に今から30年ちょっと前までは、HRの呼び方さえも世間での市民権を得ていたとはとてもいえなかったわけですが、1990年代後半から2000年代中ばにかけてとりわけ新しい連邦および各州での雇用法が次々に制定されるようになり、HRはその対応に向けて多忙を極めるようになってまいります。それまでは、Personnel Departmentの呼び代え程度にみられていたHRは、まだまだ会社の従業員はコストの一部に過ぎないという考え方がアメリカでは支配的で、特にシリコンサイクルという浮き沈みの大きい半導体業界ではその考えは顕著で、景気と投資サイクルによって操業のシャットダウンやそれに伴うレイオフも決して珍しいことではありませんでした。

そのようなアメリカのドラスティックで流動性の高い雇用慣行の中で人事担当者の団体であるSHRMの果たしてきた役割とその影響は甚大なものがあったと感じざるを得ません。とりわけまだまだ記憶が鮮明に残っている前例のなかったコロナ禍でのSHRMが提供してきた一連のポリシーやガイドライン、法令情報や解釈には私にとっても暗闇を模索する中での一条の灯火を与えてくれたかけがえのないリソースであったと申せます。日本では人的資源経営なる言葉を最近は耳にするようになりましたが、その脈絡となるものはアメリカでは75年前から連綿として続いてきているのだと思います。今後とも、企業や組織の運営の中でHRが果たす役割や使命はますます重みとその影響とを増していくのは間違いないものとなることでありましょう。


記事執筆:酒井 謙吉
This article written by Ken Sakai
President & CEO
Pacific Dreams, Inc.

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