アメリカ各州の雇用法の中には、法的拘束力を持つトレーニングの実施が会社に義務付けられているものがあります。その代表例としては、セクハラ防止トレーニングが挙げられます。現在のところ、アメリカ国内全土で、6つの州で義務付けられています。義務付けたのが古い順に申し上げますと、メイン州、カリフォルニア州、コネティカット州、ニューヨーク州、デラウェア州、そしてイリノイ州になります。アメリカは全部で50州あるわけで、たかだか6州だけしかセクハラ防止トレーニングを法律で課しているというのは、少ないように思えますが、カリフォルニアやニューヨーク、さらにシカゴを有するイリノイに法律があるということで言えば、アメリカの人口の優に3分の1近くはカバーされている計算になるのではないでしょうか。
これら法律でトレーニング義務のある州で万一、職場でセクハラが起こり、それが訴訟にまで発展した場合には、訴えの中で必ずや会社がセクハラ防止トレーニングを実施していたかどうかが問われるところとなります。もしその中で、トレーニングが実施されていなかったということが判明されれば、セクハラ訴訟の中で、会社はトレーニングを行っていなかったということでも罰則の対象となり、さらには訴訟過程の中で会社側はより不利な状況に置かれることになるのは火を見るよりも明かです。それではトレーニングの義務を法律で課せられていない残り44の州での訴訟があった場合は、どのような展開になるのか、やはり考察してみたいと存じます。
その場合、確かに法律ではトレーニングを義務付けられていませんので、会社はトレーニングを行っていなかったからといって、訴訟の過程で罰則の対象になるということはありません。ところが法律ではないのですが、アメリカの連邦雇用行政機関であります、EEOC(Equal Employment Opportunity Commission; 雇用機会均等委員会)から出されているセクハラ防止トレーニングに関するガイダンスというものがあり、これが浮上してくることになります。それでもガイダンスは法律ではありませんので、それに従っていないからといって罰則が科せられるような罰則規定というものは設けられていません。罰則は科せられないにしても、会社の訴訟での雲行きは断然よくない方向に向かってしまうことはやはり一目瞭然だと言わざるを得ません。
言うまでもなく、EEOCはアメリカ労働省(DOL: Dept. of Labor)傘下に位置する連邦機関でありますので、そこから出されているガイダンスというものは、州には関係なく、アメリカ全土で適用される規定となります。その意味では、「弊社オフィスのある州の法律ではセクハラ防止トレーニングが義務付けられていないので、トレーニングは必要ないですね?」とご質問されてくる日系企業の方がときおりいらっしゃるのですが、州の法律にはないからといって、それでトレーニングをやらないでよいという理屈にはならないことが、このEEOCから出されているガイドラインでお分かりになっていただけたのではないでしょうか。
つまり、雇用上に関してのいくつかのトレーニングは必ずしも法律云々でやらなくてはならない、法律がないからやらなくてもよいというような単純な二者択一の選択肢にはではないことがあります。セクハラ防止トレーニングのほかにも、401(k)などの会社がスポンサーになって従業員に提供する、リタイアメント(年金)プランに関するトレーニングというものもやはり、セクハラ防止と似たような局面をもっています。リタイアメントプランのトレーニングについては、連邦法でありますERISA(Employee Retirement Income Security Act; 従業員退職時所得保障法)という法律でその重要性が指摘されています。会社は英語でいうところの“Fiduciary Responsibility”、つまりリタイアメントプランに関する「受託者責任」を従業員に対して負っていると法律では明確に規定されています。この受託者責任の中に従業員へのリタイアメントに関する教育というものが求められているのです。
そうしますと、リタイアメントプランの運用の中で、会社が従業員からの受託金に対して散漫な投資管理を行っていたり、適切な分散投資を実施していなかったり、手数料の高い投資先ばかりに投資していたり、あるいは毎年チェックが入るプランの差別化テストに合格できなかったりすることによって、従業員から受託者責任を果たしていないとして会社に対して集団訴訟が起こされるケースが出てまいります。やはりそのような訴訟の中で問われるのは、会社は従業員に対してリタイアメントプランに関して適切なトレーニングや教育を行ってきたのかどうかということになります。ここで確認で申し上げたいのは、ERISAの法律では、トレーニングや教育を従業員にしていないことが罰則の対象となってるわけではなく、あくまでも受託者責任を果たさねばならないことが法律となっている点だということです。受託者責任の中にトレーニングや教育が含まれているため、訴訟で指摘を受けた場合、会社がもし何もそれらを講じていなかったらならば、会社にとっては当然不利な状況に追い込まれてしまうことにならざるを得ないことになります。
ここまで申し上げてお分かりいただけたかと察しますが、もはや自分たちの州には法律がないから、あるいは法律には書かれていないからといった理由で、トレーニングを実施しないというのは、会社にとってリスク管理上大きな過誤であり怠慢だと見なされてしまうことにつながります。アメリカには罰則が規定されている法律のみならず、罰則規定は設けられていないものの、ほぼ法律と同じように準拠していなかければならないガイダンスやガイドラインというものが存在し、それらは法律と同じように考えていく必要があると申し上げられます。コロナ禍の中で連邦機関のCDC(Centers for Disease Control and Prevention: アメリカ疾病対策予防管理センター)から出された各種のガイドラインも同じような扱いとなります。それらを会社は知りませんでしたというのは、通用しないことは今さら申し上げるまでもないことです。やるべきトレーニングは法律があるかないかにかかわらず、会社としてしっかり実施していかなければならないということに尽きる次第であります。
Ken Sakai
President & CEO
Pacific Dreams, Inc.